「ハイタイ!おにーさん」
翌日の約束の時間に響が向かうと昨日とは変わってカジュアルな服装に着替えた”彼”がホテルの前で待っていた。

「ハイタイ?」

「沖縄の言葉で”やぁ”って意味。因みに男の人は”ハイサイ”ね」

「なるほど、じゃあ。ハイサイ、我那覇ちゃん」
その言葉に響はくすぐったい様な照れくさい様な表情を浮かべた。

「我那覇ちゃんてなんか可愛くないから、自分の事は名前で呼んでいーよ」

「そう?じゃあ、響は今日は何処に連れて行ってくれるんだい?」

「おにーさんはどっか行きたい所、無いの?」

「ん、響の行きたい所に行きたいって感じかな?」
”彼”がそんな事を言うので響は思わず吹いてしまった。

「プッ!ほーんと、変わったおにーさんだよねー。自分に付き合って楽しいの?」

「そりゃあ、勿論!楽しくなかったら行きません」

「なぁるほどねぇ。じゃあ、どうしよっかなぁ。あ、じゃあ買い物付き合ってよ!」

「買い物?」

「うん、新しい帽子を見ておきたいしさ」
見れば響は昨日とは違い長い髪をそのままに黒いTシャツにジーンズ、その上に真っ白な半袖シャツの裾を腰で結んでいた。

「なるほどね、うんいいよ」

「ぃよっし!じゃあ早速しゅっぱーつ!」
響が連れて来たのは観光名所としても知られる大きなショッピングモールだった。

南国の街並みを活かした外観も然ることながら内装も何処か楽しげな雰囲気を漂わせている。

「これとこれならどっちが自分に似合うかな?」
響が麦藁帽子を二つ持って隣に居る”彼”尋ねる。

「右かな?」

「ほんとー?おにーさんのセンス信じても平気?」
意地悪そうに笑うと”彼”は笑って返事を返した。

「多分ね」

「じゃあこっちにしよう!ちょっと待ってて」
響は片方を元の場所に戻してレジへと向かう。

「あ、半分出そうか?」
”彼”が腰に下げたバッグから財布を取り出したが響は笑顔を返し

「いーよ、自分のだから♪」
と嬉しそうに答えた。

「じゃあ次はおにーさんの服だね!」

「俺の?」

「そ、買わなくてもいいから合わせてみてよ!」

「ん、それは構わないけど…」

「あ、これなんかどう?」
響が持ってきたのは良く見るアロハシャツだった。

「沖縄に来てアロハっていかにもって感じがしないかい…」
響自身それが”彼”に似合うと思って持ってきた訳ではなかった。

「アハハッ、やっぱりそう思う?おにーさんには黒だと思うんだー」
次に持ってきたのは黒地が主体の襟元や裾が少し変わったデザインのYシャツだった。

彼の肩に合わせて確かめる。

色の白い彼の肌に黒が一層引き締まって見えてそれだけでもちょっとした絵になっていた。

「うんうん、やっぱり黒がいいねぇ。暖色より寒色のが似合いそー」

「確かに持ってるのは黒が多いかもね。響が選んでくれたものだし買って来ようかな?」

「え?結構高かった気がするよ…それ」

「構わないよ、着替えてくるから入り口で待ってて」
そう言って”彼”はレジで会計を済ませると少し離れた試着室に入っていった。

響は言われた通りに入り口に向かって歩き出した。

待っている間、思わず顔が綻んでしまう。

自分の服を見てもらって、また相手の服を見立てて

こうして相手を待つ

響にとってこんな恋人同士の様なやり取りが楽しくて仕方が無かった。

その一瞬一瞬が初めての体験だった。

数分して”彼”が戻ってきた。

「おまたせ」
手にはさっきまで着ていたシャツを入れた紙袋が握られている。

「うん、似合うよ♪」

「ありがとう」

「ちょっとコンビニ寄っていい?喉乾いちゃった」

「OK」
ショッピングモールの一角にあるコンビニの中は別空間の様にヒンヤリと冷房が効いていた。

飲み物を選んでふと雑誌コーナーの前を通り過ぎた時、一冊の雑誌が目に止まった。

「あー、月刊アイマスだ!しまったー、今日発売かー」
悔しそうに声を上げると”彼”が隣に歩み寄ってきた。

「ん?雑誌?」

「そう、毎月欠かさず買ってるんだけど何時も発売日はピンチなんだよね…」

「へぇ、響とかの年代の子はこっちかと思ってたけど」
”彼”が指差した方向には男子アイドルの情報誌が並んでいた。

「んー、自分はあんまりかなぁ。どっちかって言うと同年代の女の子が頑張ってる方に憧れるな」
響の言葉に”彼”は「なるほどねぇ」と少し考えてから口を開いた。

「買っとく?」

「え?あ、いいよ。お小遣い入ったら買うし」

「そっか、じゃあ飲み物だけ買って行こうか」
響の持っていた飲み物をヒョイと取り上げて”彼”はレジに向かった。

コンビニを出て二人はなんの考えも無く帰り道を辿って海辺を歩いていた。

「おにーさんお腹空かない?」

「ん、そう言えば何も食べてないんだったっけ?」

「でしょ?実はおやつを作って来たんだ」
そう言って響が取り出したのは袋一杯に詰まったゲンコツ程の菓子パンだった。

「じゃーん、さーたーあんだぎー!沖縄のドーナッツだよ!」
袋の中には白と黒の丸いドーナッツが所狭しと詰め込まれていた。

「それ、全部響が作ったの?」

「そう!おにーさんに沖縄の味を覚えてもらおうと思って!こっちの黒いのは黒糖が混ざってるんだよ」

「へぇ、美味しそうだね。貰おうかな」

「ハイ、どうぞー!」
”彼”の手のひらに焦げ茶色のドーナッツを一つ置く。

「いただきまーす」
一口齧るのを響はじっと見詰めていた。

「どう?お味は?」

「ん、美味しい!外はサクサクしてるのに中は柔らかいんだね。ドーナッツって言うと輪っかのしか食べた事が無かったけどこれはいいね」
それを聞いて響の顔がパッと明るくなる。

「でしょでしょー!我ながら今回のは良く出来たんだー♪」
そう言って響も一つ摘まんで齧った。

サクサクとした食感に程よく焦げた甘みが口の中に広がっていく。

「さすがに飲み物が無いと水分持って行かれちゃうけどね」

「と言うかそれ全部食べられないだろ?」
二つ取った所で減っていない袋を見詰めて”彼”が苦笑いを浮かべる。

「うん…まぁでも、ちょっと時間が経っても美味しいのがさーたーあんだぎーの良い所だから!」

「なるほどね、じゃあ余ったら貰おうかな」

「えへへっ、良いよ。おにーさんの為に作ってきたんだし」
それからおやつを食べながら”彼”の泊まるホテルに着いた頃には日は傾き始めていた。

オレンジ色の大きな太陽がぼんやり水平線に落ちようとしている。

「明日帰るんだっけ?」

「その予定だけど。響、時間は大丈夫かい?」

「ん?自分?自分はまだ平気だけど」

「じゃあちょっと待ってて荷物置いて直ぐ戻ってくるから」
それだけ言い残して”彼”はホテルの中へと消えていった。

それから数分して戻ってくると”彼”は一冊の雑誌を響に手渡した。

「ほい」

「う?あっ!?これ、さっきの…」
響が手渡されたのは月刊アイドルマスターだった。

表紙には千早と春香がでかでかと掲載されており隅っこに美希の付録の案内が載っていた。

「東京の方が発売日が早いって知ってた?」

「え?そうなの?」

「そう、さてとじゃあ昨日の岬に連れて行って貰おうかな」

「え?あ、うん。いいよ」
響のお気に入りの岬に辿り着くと”彼”は黙ったまま空と海の境界線を見詰めていた。

「よっぽど気に入ったんだねぇ♪」
その隣に寄り添うように響は立っていた。

「うん、東京でこんな所は無いからね。静かで自然に溢れてて、良い所だよ」

「そっか…。自分もね、ここには良く来てたんだ。丁度このずーっと先が東京なんだ」

「へぇ」

「都会って何でだか憧れちゃうんだよねぇ」

「そう言うものなの?」

「そう言うものだよ」
”彼”の問いに響は儚げにそう答えた。

「だからさ、同年代の子が活躍してるのとか頑張ってるの見るとなんか嬉しいんだよね」

「なるほど、ね…」

「おにーさんに話しかけたのも都会の人っぽかったからって言うのがキッカケかなぁ」

「そうなのか。まぁ、理由はともあれ響のお陰で色々助かったよ。ありがとう」

「えへへっ、どーいたしまして」
”彼”の言葉に響は照れを隠す様に小さく笑って答えた。

「所で響は何時もそうやって帽子で顔を隠してるの?」
唐突な言葉に一瞬ヒヤリとした。

”彼”の言う通り響は帽子をなるべく目深に被って表情を見せない様にするのが癖になっていたからだった。

人の顔を見ない様に、人から顔を見られない様に

”彼”に会うまでは何時もそうだった。

「え?いや、何時もって訳じゃないけど…何で?」
抽象的な言葉で言い逃れをして逆に質問で返す。

「折角、可愛い顔してるのに勿体無いなってさ」
彼は振り向きもせずそう答えた。

「あはは。またまた、おにーさんは冗談が上手いんだから」

「そう?見る目はあると思ってたんだけどな?」
そう言って夕焼けの光を浴びてニコッと笑う”彼”の顔に響の胸がトクンと小さく高鳴った。

その瞬間

ヒューーッ

と音を立てた突風が吹き荒んで響の買ったばかりの麦藁帽子を飛ばした。

「あっ!」
慌てて取ろうと手を伸ばす。

「っ!?ばかっ!」
無い地面を踏もうとしていた響の体が強い力で引っ張られた。

勢い余ってドサッと倒れこんだが何かがクッションになって不思議と痛みは無かった。

「いててっ…」
きつく目を瞑っていた響の下から声が聞こえる。

瞼を開くとそこには”彼”の着ていたシャツと腕が視界に飛び込んできた。

「はぁーっ、死ぬかと思った…」
ドクンドクンと高鳴った鼓動が響の耳を伝わってくる。

見えていた腕が動き出し響の頭を見つけると落ち着いた様にまた動かなくなった。

「勘弁してくれー、寿命が縮むー」

「ごめ…」

「会ったばかりなのにこんな別れ方は御免だぞ?」
そう言って髪を撫でてくれる”彼”の手は不思議と嫌な感じがしなかった。

先日あんな事があったばかりだと言うのに”彼”の体温を感じることも、その腕に抱かれる事も怖くは無かった。

寧ろ暖かな心地良さが感じられた。

「ほんと、ごめんね…」
暫く目を閉じて彼の感触を感じているとゆっくりと体が起き上がった。

「ふぅ…焦った焦った」
微塵もそんな風に感じさせない口調で”彼”はそう呟いた。

「ごめんね…迷惑掛けて」
そう申し訳無さそうに言う響の顔を見て、再び響の髪を撫でながら”彼”は屈託無く笑った。

「ほら、やっぱり帽子が無い方が可愛い」
響の顔がボンッと音を立てて赤くなる。

「う…ばか…まだそんな事言ってる…」
恥ずかしそうにそっぽを向く響を他所に”彼”は何かを腰に下げたバッグから取り出した。

「あははっ。実は響にお礼も兼ねてプレゼントを持ってきたんだ」
そう言って取り出したのは贈答用の艶のある紙の箱に治められた小さな白いハンカチだった。

「ハンカチ?」

「そ、一応シルクなんだよ。自分用に使おうと思ってたんだけど響に似合いそうだから。イニシャル入ってるけどまだ使ってないからね」
それを取り出すと”彼”はまたニコリと笑った。

「はい、じゃあ頭をこっちに向けてくれるかい?」

「ん?こう?」
言われた通りに頭を向けると”彼”の手が響の髪を梳くって行く。

ばらばらに広がっていた響の髪を一本に纏めるとシュルシュルと絹の擦れる音が聞こえてきた。

「ほい、出来た。もういいよ」
頭を上げると”彼”が胸のポケットから鏡を取り出して見せてくれた。

「どう?思ってたより似合うでしょ?」
髪に結われたシルクのハンカチをそっと撫でる。

ピョンとウサギの耳が跳ねている様に可愛く結われたそのハンカチは響の黒髪に良く映えていた。

「んで、これは替え。こっちはマーブル柄のパステルカラーだから。服に合わせて変えてみてね」
流石にシルクではなかったが同じ様に紙の箱に包まれていた。

「うん…ありがと。でも、本当に貰っちゃっていいの?シルクのなんて高いんじゃないの?」

「お礼に高いも安いも無いよ。贈りたい物を贈るだけだからさ」

「そっか…ありがと。大事にするよ!」
響はニパッと満面の笑みを浮かべた。

「さて、じゃあお仕事しようかなぁ」
”彼”がそう言ったので響は慌てて起き上がった。

「うわぁ、ごめん!…もう、帰る?」
響が聞くと”彼”は小さく首を振って立ち上がった。

「いや、仕事は今ここでするから。勿論、響にも居て欲しいから帰らないでね」

「あ、うん。それは良いんだけど…そう言えばおにーさんのお仕事ってまだ聞いてなかったね」
”彼”はパンパンとズボンと手の埃を払うとさっきの鏡をパカッと開いた。

「俺の仕事は、こう言うのだよ」
中から一枚の名刺を響の前に差し出す。

手渡された名刺には

”765プロダクション スカウトマネジメントコーチ 兼 スーパーバイザー”と役職の後に”彼”の氏名が記されていた。

「765プロダクション…て、ウソ!?」
驚いて見上げた響に”彼”はニコッと微笑んだ。

「ほんと」

「ほんと?」

「うん」

「うそ!」

「繰り返しそうだな…」
名刺と自分の顔を交互に見ている響を見て”彼”は苦笑いだった。

「765ぷろだくしょんデハ、美希チャント同期ノ”三期生”ヲ募集シテイマス。アナタモとっぷあいどるヲ目指シテミマセンカ?」
と”彼”は棒読みで話し始めた。

「って言うのが俺の仕事。そこで物は相談なんだけど、響―」

「え?ハ、ハイ!」
不意に名前を呼ばれて緊張で声が裏返る。

「うちに来る気は無いかい?」

「じ、自分!?」

「キミナラヤレル!ボクガホショウスル!」
わざとウソっぽく言う”彼”の言葉に響は小さく吹き出した。

「クスッ。そーやって言うのが仕事?」

「そう。でも響は本当に素質があると思うよ、お世辞抜きでね。だから是非、響に来て貰いたい」
眼鏡越しの右目がパチッとウインクする。

「それは嬉しいけど…で、でも本当に自分なんかでいいのっ?探せばもっと綺麗な子居ると思うよ!?」
そう言った響の言葉に”彼”は笑いながら小さく首を振った。

「”自分なんか”じゃないよ、”響だから”俺は来て欲しいんだよ」
その一言が響の胸の暖かい所に落ちていく。

自分だから

そう言ってくれた”彼”の言葉は疑いの余地が無かった。

二日間、彼と行動を共にしてさっきは命まで助けてくれた。

そんな自分を必要としてくれている人の言葉を疑える筈も無かった。

「うん、ありがと…帰ったら相談してみるね」

「うん、よろしくお願いするよ。さてと、あと一仕事だなぁ」

「まだ、あるの?」

「暗いからね、響を家まで送らないと」
”彼”の左手が差し出される。

「あははっ、じゃあお言葉に甘えて」
響はふわりとそこに右手を乗せた。

翌日の昼

響は大急ぎで空港に向かった。

あの後、家族に”彼”との話し合いの事を告げると家族は「したい様にすればいい」とそう言ってくれた。

そしてその事を考えていた所為で明け方になってウトウトしてしまったのだった。

空港に着いて第一番に”彼”の姿を探す。

「はぁっはぁっ…ん、もう乗り場に行っちゃったのかな?」
グルリと見回しても見当たらない。

空港内を走り回ると呑気にお土産を漁っている”彼”の姿が目に入った。

「ここにいたのー!?」

「おや?お疲れのご様子で」

「ごめん、遅れちゃって。飛行機、何時のだっけ?」

「12時のだよ」
その言葉に響は腕時計を確かめて青ざめた。

「12時って…もう5分前じゃん!」

「うん、遅れてるらしいよ。向こうは天気悪いみたいだし」
”彼”が呑気に言ったその言葉にへなへなと脱力して尻餅をつく。

「はぁ…なんか急いで損した気分だよ…」

「お疲れ様、ありがとうね。見送りまでしてもらって」

「いいえ、どういたしまして…」
響が言うと”彼”はお土産の箱を5つ買って戻ってきた。

「おまたせ」

「おにーさん、少し話せる?」

「勿論、タバコ吸いたいんだけど外でいいかい?」

「任せるよ」

「それじゃあ、飲み物買って行こうか。辛そうだし」
小さく笑って牙を見せると”彼”は缶のジュースとコーヒーを買って喫煙所に向かって歩き出した。

「おにーさんて結構意地悪だよね…」
買ってもらった缶ジュースに口を着けながら響は言った。

「あぁ、よく言われるよ」
タバコを咥えながら”彼”が笑って返す。

「よく言われるんだ…昨日の続きなんだけどさ、本当に自分やれるかな?」
不安に思って聞いた質問に”彼”は直ぐに返事をした。

「響なら充分やっていけると俺は思うよ」
そう自信有り気に答えた言葉に響の中でもやがかっていたものが一つ晴れた気がした。

「そっか…。解った、今のでキチンと決心ついた!自分、765プロのオーディション受けるよ!」

「良かった、断られたらどうしようかと思ったよ」
”彼”の言葉に響は小さく首を振った。

「ううん、おにーさんが自分の事そう言ってくれたからだよ。断る理由なんてないじゃん」

「そっか。ありがと、嬉しいよ」
響の言葉に”彼”嬉しそうに笑ってそう答えた。

「あ…」
トクンと鼓動が高鳴る。

たった二日間だったがもう何年も見てきた様な”彼”の優しい笑顔がそこにあった。

そしてそれが当分、もしかしたら一生見れないかもしれないと言う不安も一緒に生まれていた。

そんな笑顔を繋ぎとめたかった。

ずっと見て居たかった。

これからもずっと…

ここ最近、”彼”と共に居ると時折感じていたこの感覚。

トクントクンと胸の高鳴りが木霊する。

息をするのが苦しい。

「あ、あのさ…おにーさん…」

「ん?」

「あ、あの…もしだよ?もし…じ、自分が」

「響が?」

「自分が…おにーさんの事…その―」

「お待たせいたしました。○○××便、搭乗を開始致します」
乗降のアナウンスが流れる。

「え…?」

「あ、あいいや。やっぱりなんでもない!」
響は手を振って深く深呼吸をする。

「搭乗手続きあるんでしょ!もう行かなくちゃ…ね?」

「そうだね」
搭乗口まで響が付き添うと”彼”が手続きを済ませて戻ってくる。

「それじゃ、あ…響?」
背の低い仕切りを挟んで”彼”が響を呼んだ。

「うん?」

「おいで、リボンが曲がってる」
”彼”の手がリボンにしているシルクのハンカチに伸びてくる。

柔らかい音を立てながらリボンが結われていく。

俯いて”彼”に髪を結って貰いながらこの声を聞く事も当分無いのかと思うと一気に不安と寂しさが込み上げて来た。

「うっ…ふ…、ひっ…ぐすっ…」
頭の上から声が降ってくる。

「泣かれると帰れなくなるよ」
「じゃあ帰らないで」とは言えなかった。

「約束しよう、笑顔で送ってくれたら俺は響の事を待ってるよ」
自分の答えを聞いた後でそんな事言うのはずるいと思った。

でも、響はそれに逆らう事も出来なかった。

「終わったよ」
ポンと肩を叩かれたので零れてしまった涙を拭って顔を上げる。

何時もの様に笑顔のままで

「えへへっ、ありがと♪」

「どう致しまして。ほい、じゃあ約束」
差し出された小指に自分の小指を絡ませる。

荷物を持って背を向けた”彼”に響は声を掛けた。

「いつか、絶対会いに行くからねっ!ちゃんと自分の事、待っててよねっ!」
ピタリと歩みを止めて”彼”は振り返るとニコッと笑った。

「あまり遅かったら迎えに行くからなっ」
そう言って手を振って”彼”は搭乗口の中へと消えていった。


響がルーキーズ合格と言う華々しいデビューを飾ってから約半年が過ぎた頃

紅葉も見え始め秋の涼しい風が吹く季節だった。

響はその才能を遺憾なく発揮し、また敏腕プロデューサーの助けもあってファン数を大幅に増やしランクはFからBへと上げていた。

デビュー当初に比べ仕事量は倍以上になったものの響はどの仕事にも手を抜かない真面目さが評判の素だった。

持ち歌を「relations」に替え、新しい風を吹き込むと人気は更に上昇し続けた。

何時もの様に事務所に立ち寄ったある日の午後

「おはよっ、にぃにぃ」
響が挨拶を交わすとプロデューサー一枚の封筒を響に手渡した。

「面白いものが届いてるよ」
真っ白な封筒には達筆な筆で”果たし状”と書かれていた。

「何、これ…」

「開けて読んでご覧」
言われるままに中を取り出すと和紙で出来た便箋にこう記されていた。

「雌雄を決すべく来月執り行われるTOP×TOPにエントリーされたし 961プロダクション 四条 貴音」

「四条貴音ってあの銀色の王女?」
それが961プロから飛び出した響の好敵手の通り名だった。

「そうだね」

「そっか…あんまりこう言う露骨なのは自分、好きじゃないな」
響は便箋を畳みながらそう寂しそうに呟いた。

「お互いの技術を競うって言うのは好きだけど、何だかこれじゃ殺し合いみたいで…」

「でもTOP×TOPはSランクに到達するには必須のオーデだよ。もうエントリー済みだし」

「え、そうなの?」

「魔王エンジェルも出るみたいだし、ここで差をつけられれば名実共にトップアイドルの座を取れる」

「そっか…」
一人浮かない表情で響は答えた。

「乗り気じゃなさそうだな?」
プロデューサーが片眉を上げて尋ねる。

「うん、さっき言った通りだからね。でも、にぃにぃが取ってきてくれたお仕事だから自分頑張るよ!」

「頼むよ、何時もの響なら大丈夫だから!今回は流石に指示を出すかもしれないけど」

「うん…お願いね」
響は悩んでいた。

これまでに幾度と無くプロデューサーに言われた”何時もの響”

それが偽りだといつかバレてしまうんじゃないか

そしてそれを知ってしまったら…

そう思うと気が気でなかった。

オーディション当日

当日発売の雑誌にはTOP×TOPの話題が表紙に掲載されていた。

四条貴音のソロユニット<プロジェクトフェアリー>、トリオの<魔王エンジェル>、我那覇響のソロユニット<ティーダ>

それぞれのプロダクションの社運を掛けたアイドル戦争勃発と…

響はプロデューサーと共に控え室で待機していた。

コンコン

と控え室のドアがノックされる。

「どうぞ」
プロデューサーが返事をすると静かにドアが開いた。

「お初にお目に掛かります。私、四条貴音と申します。我那覇響様でいらっしゃいますか?」
一礼をしながらの物静かな問いに響は立ち上がって答えた。

「自分が我那覇 響だよ」

「先日はご無礼を致しました、お許しください。ですがこれも故あっての事とご承知置きください」

「故…?」

「はい。私の本意ではございません事、それだけお申し伝えにと…。では、また後ほど会場で…」
再び深く頭を下げて四条貴音は控え室を後にした。

本意ではないと言ってくれた貴音の言葉が嬉しくもあったがこの時、響は薄っすらと敗退の予感を感じていた。

現在の流行は、ボーカル 次にダンス 最後にビジュアル

響の得意とするのはダンスだったが四条貴音、魔王エンジェルの得意とするものがボーカルだった。

四条貴音の抜群の艶っぽい歌唱力、魔王エンジェルの個々のレベルはどれも響より格段に上
ダンスでは群を抜いているにせよ流行までは覆す事が出来ないからだ。

それでも響は手を抜こうとは思っていなかった。

プロデューサーの取ってきた仕事に手を抜く事は失礼だと思ったし、プライドが許さなかった。

そして何よりプロデューサーの喜ぶ顔が見たかったからだった。

「流石に、一筋縄ではいかないだろうな」
珍しくそう呟くプロデューサーの顔を見上げて響は笑った。

「にぃにぃ、指示よろしくね」
響の言葉にプロデューサーは一つ頷いた。

オーディション開始のアナウンスが流れる。

「じゃ、行って来るね!」
会場に着くと響はプロデューサーの見える位置に立位置を取った。

(このオーデが終わったら、言ってもいいよね?)

チラリと視線を合わせるとプロデューサーは小さく頷いた。

審査開始

四条貴音 魔王エンジェル 我那覇響の3人に注目が集まる。

審査員の声が矢継ぎ早に三人の番号を呼び掛けた。

中でも四条貴音 魔王エンジェルの番号をボーカル審査員がコロコロと印象を変えていく。

響は何時もと同じ様にダンス集中型のアピール配分だった。

1次審査終了

(審査員の反応から見てダンスは響が確定1位、ボーカルは四条貴音か。ビジュアル面のアピールを他はしていないのか?)

2次審査開始

プロデューサーからの指示は特に無かった。

響はダンス集中型を続投した。

何時もの笑顔で何時も通りの演技だった。

(違う…響の笑顔がビジュアルの審査員を惹き付けている?そうか…は、はは!本当に凄い子だよ、響は!)

2次審査終了

(ダンスは兎も角ボーカルは全然勝ててる気がしないなぁ…じゃあボーカルを捨てる?にぃにぃ…どうするの?)

プロデューサーの手が動く。

人差し指が口を押さえた。

(ボーカル…オンリー!?)

3次審査開始

四条貴音、魔王エンジェルそして響のアピールがボーカルに集中する。

最終アピールを迎えた時

ガタンッ

と音を立ててボーカルの審査員は席を立ったまま戻ってくる事は無かった。

「はぁっはぁっ…」
響には何が起きたのか解らなかった。

ボーカルの審査員が居なくなってしまった今、この審査の結果はどうなってしまうのか。

「お疲れ様、響」

「ねぇ、にぃにぃどうなってるの?審査員帰っちゃったみたいだけど…」

「あぁ…ボーカルの審査員が居なくなったら、ボーカルのアピールは全てノーカウントだよ」
半ば興奮気味にプロデューサーは答えた。

「え、じゃあ?」

「審査はダンスとビジュアルのみで行われる…」
審査終了のアナウンスが流れる。

「今回のTOP×TOPの合格者を発表致します。合格者はエントリーNo.3 我那覇 響さん、合格です」

「うそ…!?」
信じられない発表に呆然と立ち尽くしていた響の隣でプロデューサーが嬉々として声を上げる。

「は、ははははっ!おめでとう、響!さ、行っておいで」

「あ、うん。行ってくる」
打ち合わせ終了後、帰り道を一人歩く響の心中は穏やかではなかった。

合格した喜びよりも、トップアイドルに近付いた嬉しさよりも

プロデューサーへ伝えなければならない事実の不安の方が何倍も大きかった。

でも、それでもいつかは伝えねばならない事だったしAランクを踏破した今日明日が最もタイミングが良い気がした。

一つの区切りとして。

翌日の朝

「おはようございまーっす!」
努めて何時もと変わらない様挨拶と一緒に事務所のドアを開けると小鳥が出てきた。

「響ちゃん♪昨日はおめでとう。あれ?でも今日はお休みじゃなかった?」

「ありがと♪にぃにぃと話したい事があって」

「そうなの…うーん」
響の言葉に小鳥はハッキリと困惑を表情に出した。

「にぃにぃは?」

「応接室だけど…」
小鳥はそう言い淀んで響を応接室の前まで連れて行ってそっとドアを開いた。

「ご覧の通りなのよ…」
響が覗き込むとプロデューサーはソファの背もたれに右腕を置いて腰掛けていた。

力なくだらんと伸ばした左腕

背もたれに乗った顔

スースーと言った寝息が一定のリズムで聞こえてくる。

「リーダーさんね、響ちゃんがオーディション受ける2日前から寝てないのよ」

「え…?」
日頃から顔色を見てはいたがそんな事にはちっとも気付かなかった。

「響ちゃんがよっぽど可愛いのね♪何枚も何枚も作戦を練って勝った時負けた時の方針も全部作って」
嬉しそうに話す小鳥を他所に響の胸はチクリと痛んだ。

「そ、なんだ…」

「この前は響ちゃんをたまには家に帰してあげたいからって企画書みたいな厚いスケジュール表を提出してたし」

「にぃにぃ…」

「だから、ちょっと寝かせてあげてくれると嬉しいな」

「うん、じゃあちょっとこのまま静かにしてるよ」

「お願いね♪」
小鳥は小さく手を合わせるとそっと応接室のドアを閉めた。

音も無くドアが閉められるとルーバーから差し込む事務所の微かな明かりを残して応接室はほぼ真っ暗になった。

静かにプロデューサーに近付く。

重厚なセンターテーブルに脱いであったスーツが目に付いた。

(ボタンが解れてる…)

響はバッグの中からソーイングセットを取り出してボタンの解れを手際よく繕った。

「ごめんね、にぃにぃ。自分こんな事しか出来なくて…」
寝ているプロデューサーに向かって独り言を呟く。

静かに隣に腰掛けてそっと頬に手を伸ばす。

「ん…スー、スー」

「にぃにぃは何時も一生懸命、自分の為に色々してくれるね。どうしてそんなに優しいの?自分がアイドルだから?」
コテッと胸に頭を預け静かに目を瞑る。

「自分は、にぃにぃに…何かして、あげられるのかな?」
余程疲れているのかプロデューサーはスースーと気持ち良さそうに寝息を立てたまま起きなかった。

「何が…してあげられるのかな?にぃにぃ…自分、解らなくなってきちゃったよ…」
小さく自嘲めいた笑みが零れる。

「こんなになってまで、にぃにぃが自分を勝たせてくれたのは本当に嬉しいんだ。だけど…だけどね?」
キュッとプロデューサーのシャツを小さく握る。

「にぃにぃ、助けて…自分、怖いよ。どう、すればいいの?にぃにぃが…優しくしてっ、くれ…る度にね?」
つっと涙が頬を伝ってプロデューサーのシャツに小さなシミを作った。

「にぃに、のっ…ぃにぃのぉっ…。優しさが…重いよ…」

 SS寄り